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「・・・戻ろう」
抱き締められたまま静かに言われる言葉に、ただ、頷いた。
一人で歩けるという言葉を無視して、私を抱き上げ歩き出す。
渕埼さんの顔を見上げる。
もし私が、今日と同じことをしたのなら、きっとまた彼は来るのだろう。
深みに身を沈めても、律の所へ行けないのは解っていた。
どんなにその姿を求めても、死んだ者には腕も声も届かない。
解ってはいるけれど、ふとした瞬間に感じる空白は耐え切れなかった。
それは、哀しくて、寂しくて、・・・寒くて。
律はどんな顔で微笑んでいたのか、どんな声で話していたのか、時が経つほどに蝕まれぼやけて忘れてしまいそうだった。
それが、律が私の元から離れていくような感じがして怖かった。
私の周りはあの夜の闇のまま、掠れゆく律の存在だけを辿り、それが私の世界の全てだと思い込ませて来たけれど。
渕埼さんという光が闇を照らしたから。
今私の腕の中に何も残っていないことを見てしまったから。
光が暖かいことを思い出してしまったから。
けれど、それもこれで最後。
家に着いたらその姿を見送って、学校で会っても何もなかったように振舞えば良い。
そして、その暖かさを少しずつ忘れていけば良い。
だから、今だけは、せめて・・・。
「・・・大丈夫か・・・」
「・・・ええ、大丈夫です」
自分に言い聞かせるように言って、ゆっくりと手を離す。
渕埼さんは「そうか」と答えて背を向け、数歩歩いて立ち止まる。
「――殴って、すまなかった・・・」
振り向かないまま言い終えた背中が遠くなる。
木洩れ日の中で共に過ごした、暖かい時間を思い出す。
穏やかな微笑を、力強い腕を、真っ直ぐな瞳を・・・。
大丈夫。私はまた、一人に戻るだけだ・・・。
ドレスから滴る雫が、地面に涙のようにシミを作った。