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招き入れられた部屋は、客間らしく簡素で。
渕埼さんが戻るまでの間、余計なことを考える余裕もなかった。
結局切り出す言葉が決まらぬまま、私は彼と対峙する。
しばしの沈黙の後、口を開いたのは同時で。
私は促されるままに、話し始める。
仕度は終わっているのに、中々決心がつかなくて。
陽の当たるリビングで、律の写真と、一年前に買った指輪を目の前にして、色々な事を思い出していた。
辛かったことも、楽しかったことも、闇も、光も、寒さも、暖かさも。
この一年色々な事があって、私は流されるようにここまで歩いてきたけれど、この気持ちだけは、この言葉だけはきちんと伝えなければ。
そう決めたのに・・・。
漸く出た外は暑く、空気は揺らいでいた。
渕埼さんは、私の空白を光のように照らし暖めてくれた。
共に過ごした時間で、私はどれだけ寒さを忘れていられただろうか。
今日は律の一周忌の法要。
話をするには、良い機会だろう。
あの時掴んだ手を離したくないと思った。
だから彼のことで泣くのはもう最後だと決めた。
しかし忘れようと決めた途端に、気持ちが大きくなっているのも事実だった。
足は自然とあの場所に向かう。
先日供えた花は暑さに干からびて、既にその花びらを散らせている。
あの時と同じ場所に立っても、今は何も感じない・・・。
決して律を忘れた訳ではないけれど、今はそれほど焦がれては居ない。
あの海の夜が凪だと思ったけれど、きっと違うのだろう。
今の方がよほど、凪いでいる。
「・・・戻ろう」
抱き締められたまま静かに言われる言葉に、ただ、頷いた。
一人で歩けるという言葉を無視して、私を抱き上げ歩き出す。
渕埼さんの顔を見上げる。
もし私が、今日と同じことをしたのなら、きっとまた彼は来るのだろう。
一歩ずつ踏み出す。
夜の海は昼間の暖かさを含んでまとわり付く。
ドレスが海水を含んで重たくなっていく。
後ろで呼ぶ声が聞こえた。
凪いでいた。
あの日から悩み続けて居る胸のうちが、嘘のように静かだった。
今なら、迷わずにいけるかも知れない・・・。
ふとそんな気持ちになって、私は家をでる。